Sano Shrine
所在地: 宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田117
御祭神: 神日本磐余彦尊(神武天皇)
ご利益: 厄除け、開運招福、恋愛成就・縁結び、家内安全、健康長寿、安産祈願
神武天皇御生誕の地と伝わる聖地に鎮座する古社で、神日本磐余彦尊(神武天皇)を祀ります。幼名は「狭野尊」と伝わり、霧島六所権現のひとつに数えられてきました。参道には、慶長5年(1600年)に植えられたと伝わる樹齢400年を超える狭野杉の並木が続き、国の天然記念物に指定されています。毎年12月の第1土曜には、狭野神楽が夜を徹して奉納されます。開運・厄除け・勝運などのご利益で信仰されています。
神武さまものがたり 第二章
「東に、よき国がある」
『日本書紀』は、神武天皇を「生まれながらに賢く、意志の強い方」と記しています。十五歳で跡継ぎの皇子となり、成長すると日向の吾田(あた)の吾平津媛(あひらつひめ)を妃に迎え、御子の手研耳命(たぎしみみのみこと)が生まれたと伝わります。
四十五歳のとき、皇子は兄たちや子らを集めて語りました。「塩土老翁(しおつちのおじ)から聞いた。東に、青い山に四方を囲まれた美しい国がある。そこへ行って都をひらこうではないか」。塩土老翁は、かつて祖父の山幸彦を海の宮へ送り出した、あの潮の神。『古事記』が兄との語らいとして伝える東への決意を、『日本書紀』はこう描いています。
狭野神社は、第五代孝昭天皇の時代に、神武天皇が生まれた地に創建されたのが始まりと伝わります。社殿はもともと約1km離れた皇子原にありましたが、霧島山のたび重なる噴火で焼け、1610年にいまの場所へ移されました。幼名「狭野尊」のふるさとで、いまも神武さまがまつられています。
こうして皇子は、生まれ育った高原の里をあとにします。宮崎の宮で過ごしたのち、美々津の港から東へ船出したと伝わる旅——その足跡は、いまも宮崎の各地に残されています。
物語のつづき:皇子原神社(前の章:産屋での誕生) / 宮崎神宮(次の章:神武さまの大宮)
物語は『古事記』『日本書紀』の伝承と、狭野神社の由緒(宮崎県観光協会・高原町などの紹介)をもとに当アプリがまとめたものです。