宮崎神社めぐり
MIYAZAKI SHRINE TOUR

霧島東神社

Kirishima Higashi Jinja

所在地: 宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田6437

御祭神: 伊邪那岐命、伊邪那美命

ご利益: 厄除け、開運招福、家内安全

高千穂峰の東側山腹、御池を見下ろす地に鎮座する霧島六社権現のひとつで、鹿児島側の霧島神宮が「西霧島宮」と呼ばれたのに対し「東霧島宮」と称されました。創建は第10代崇神天皇の御代と伝えられ、御祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊。天暦年間(947〜957年)には天台宗の僧・性空上人が霧島山で修行し、別当寺の錫杖院を建立したと伝わります。高千穂峰の山頂は当社の飛地境内で、天孫瓊瓊杵尊が突き立てたという伝説の「天之逆鉾」は社宝として祀られています。氏子だけで行われる祭祀「祓川神楽」は、同じ高原町の狭野神楽とともに「高原の神舞(かんめ)」として国の重要無形民俗文化財に指定され、毎年12月の第2土曜日から翌日にかけて夜を徹して舞われます。

雲をかき分け、峰に降りた天孫

海幸山幸ものがたり 序章 その一

「朝日のさす国、夕日の照る国」

天照大御神は、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に地上の国を治めるよう命じ、勾玉・鏡・剣を授けて送り出しました。尊は幾重にもたなびく雲を押し分け、道案内に立った猿田毘古神(さるたひこのかみ)に導かれて、「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふるたけ」に降り立ったと『古事記』は伝えます。『日本書紀』では「日向の襲(そ)の高千穂峯」。この地を霧島の高千穂峰とする説と、宮崎県北部の高千穂町とする説があり、どちらにも言い伝えが残ります。

降り立った尊は「ここは朝日のまっすぐさす国、夕日の照り輝く国。まことに良い地だ」と語り、宮を建てたと『古事記』は伝えます。霧島の高千穂峰の山頂には、尊が逆さに突き立てたと伝わる「天の逆鉾(あまのさかほこ)」が立っています。高原町の紹介では、雲海に島のように浮かぶ峰々を尊が鉾でかきさぐり、山頂に逆さに立てたものといわれ、その情景は、伊邪那岐・伊邪那美が天の沼矛で島々を生んだ国生みの神話を思わせるとされています。

霧島東神社は、高千穂峰の東の中腹、御池を見下ろす森の中に鎮座します。降臨した尊が、はじめて祖先の神々をまつった所と伝えられ、いまも国生みの神・伊邪那岐命と伊邪那美命をまつっています。高千穂峰の山頂は当社の飛び地の境内で、天の逆鉾は社宝です。平安時代には性空上人がこの山で修行して別当寺の錫杖院を開き、霧島は修験者たちが集う霊場となりました。

地上に降りた瓊瓊杵尊は、やがて笠沙の岬で、美しい娘・木花開耶姫(このはなさくやひめ)に出会います——。

境内で出会える、物語の舞台

  • 天の逆鉾(高千穂峰の山頂):当社の社宝で、少なくとも江戸時代には山頂に立っていたといわれます。1866年には坂本龍馬が新婚旅行で妻のお龍と登り、二人で引き抜いてみたことを、姉の乙女への手紙に絵入りで書き残しています。山頂へは本格的な登山になるので、火山の規制情報も確かめてお出かけください。
  • 法輪の社紋:仏教の「法輪」を社紋にしている、とても珍しい神社です。かつて別当寺の錫杖院と境内を共にしていた、神と仏がともにまつられていた時代の名残です。
  • 祓川神楽:毎年12月第2土曜日の午後7時ごろから翌朝7時ごろまで、祓川神楽殿で夜通し舞われます。氏子が霧島山の神に舞を奉納する最も大切な行事で、真剣を手に12人で舞う「十二人剱」などが見どころ。国の重要無形民俗文化財「高原の神舞」のひとつです。

物語のつづき:荒立神社(前の章:道案内の神と舞の女神) / 都萬神社(次の章:姫を妻に迎える)

物語は『古事記』『日本書紀』の伝承と、高原町の紹介(歴史の散歩道・祓川神楽)、観光庁の多言語解説文、宮崎県観光協会の紹介をもとに当アプリがまとめたものです。

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