Odo Jinja
所在地: 宮崎県宮崎市鶴島3-93
御祭神: 伊弉諾尊、祓戸四柱大神
ご利益: 家内安全、開運招福、厄除け
伊弉諾大神を主祭神とし、天照皇大神・大己貴大神・素盞鳴大神・奇稲田姫大神を合祀する神社です。第12代景行天皇の勅により創建されたと伝わり、古くは「小戸大明神」と称されました。「小戸」はもともと現在の宮崎市街地一帯を指す地名で、全国の神社で奏上される祓詞に「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と謳われる、伊弉諾大神が禊祓をされた聖地にあたります。寛文2年(1662年)の大地震で被災して大淀川上流へ移り、翌年上野町に遷座、昭和7年(1932年)の橘通り拡張にともなって大淀川畔の現在地へ移り、昭和9年に本殿の正遷座祭が斎行されました。境内には元禄6年(1693年)奉納の石燈籠一対が残ります。例祭は7月25・26日に近い土日の夏越祭(御神幸祭)で、禊祓の神として厄除けや航海安全のご利益で知られます。
神々のはじまりのものがたり その三
「上の瀬は速い、下の瀬は弱い」
みそぎの水に入るとき、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが弱い」と言って、流れの中ほどの瀬に潜り、身をすすぎました。そのとき最初に生まれたのは、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)。黄泉の国の穢れから生まれた、災いの神です。続いて、その災いを正しく直すために、神直毘神(かむなおびのかみ)・大直毘神(おおなおびのかみ)・伊豆能売(いづのめ)が生まれたと『古事記』は伝えます。
さらに水の底、中ほど、水面で身をすすぐと、海の神・綿津見神(わたつみのかみ)の三柱と、底筒之男命(そこつつのおのみこと)・中筒之男命・上筒之男命の三柱が生まれました。のちに住吉の神としてまつられる三柱です。こうして穢れを清め、災いを正したその最後に、天照大御神たち三柱の貴い子が生まれたのでした。このみそぎは、いまも神職が唱える祓詞(はらえことば)に「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給いし時に」と受け継がれています。「小戸(おど)」は、かつて宮崎の町の中心部のほとんどを指した地名でした。
小戸神社は、伊邪那岐命を主祭神としてまつる神社で、約1900年前に創建されたと言われます。かつては「小戸大明神」と呼ばれ、もとは大淀川の河口の沖合い「小戸の瀬」に建てられていました。江田神社と同じく津波の被害を受け、のちに宮崎の町の中心部・上野町へ、さらに1932年(昭和7年)に大淀川の左岸、いまの静かな住宅街へと移りました。「小戸さま」と親しまれ、毎年の大晦日には、伊邪那岐命のみそぎにならって一年の罪や穢れを祓う「みそぎ祓」が行われます。青年団を中心に、ふんどしに鉢巻の姿で寒中の大淀川に入り、身を清めます。
みそぎで生まれた天照大御神は天上の国・高天原を、弟の須佐之男命は海原を治めるよう、父から任されます。ところが須佐之男命は泣きわめいて従わず、やがて姉のいる高天原へ昇っていくのです——。
物語のつづき:江田神社(前の章:みそぎで生まれた日の神) / 天岩戸神社(次の章:岩戸に隠れた日の神)
物語は『古事記』の伝承と、宮崎県観光協会の紹介(「神話のふるさと」ルート・パンフレット「神話をめぐる旅」・「記紀の旅」)をもとに当アプリがまとめたものです。