Kushifuru Jinja
所在地: 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713
御祭神: 天津彦彦火瓊瓊杵尊、天児屋根命、天太玉命、経津主命、武甕槌命
ご利益: 家内安全、開運招福、厄除け
『古事記』に「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降ります」と記された天孫降臨の伝承地に鎮座する神社です。御祭神は天孫瓊々杵尊。元禄7年(1694年)、延岡城主三浦候と高千穂神社の大宮司の願いにより社殿が建立されました。明治6年に二上神社と改称し、明治43年に槵觸神社の名に戻り、昭和58年には約300年ぶりの御造営が行われています。古くから武神として信仰され、スポーツ競技や交通安全の神としても崇敬されています。近くには神々が天上界を遥拝したと伝わる「高天原遥拝所」があり、秋の例祭では槵觸神社から高千穂神社まで子ども神輿などが練り歩きます。
天孫降臨のものがたり その一
「この国は、あなたが、治める国」
天照大御神と高木神は、孫の瓊瓊杵尊に「この豊葦原の水穂の国は、あなたが治める国です。命じたとおりに降りなさい」と告げました。尊は天の岩座を離れ、幾重にもたなびく雲を押し分けて、「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」に降り立ったと『古事記』は伝えます。このとき、天忍日命(あめのおしひのみこと)と天津久米命(あまつくめのみこと)が、弓矢を手に太刀を帯びて、一行の先に立ったといいます。
槵觸神社は、その「くしふる峰」とされる高千穂町の峰の中腹に鎮まり、瓊瓊杵尊をまつっています。古くは山そのものが御神体として崇められ、社殿はありませんでした。いまの社殿は1694年(元禄7年)、延岡藩主らの寄進によって建てられたものです。天孫降臨の地は、霧島の高千穂峰とする説と、ここ高千穂町とする説があり、どちらにも言い伝えが受け継がれています。
高千穂では、天孫降臨のとき、神々がこの地で力比べをしたことが相撲のはじまりと言い伝えられています。境内からは、四皇子峰や高天原遥拝所、高千穂碑、風土記・万葉の丘をめぐる散策路が延び、神話の舞台を歩いてたどることができます。
天孫の一行を天の分かれ道で迎え、道案内に立った猿田毘古神(さるたひこのかみ)。その神に名をたずねたのは、岩戸の前で舞った天宇受売命でした。二柱の神は、この高千穂で結ばれたと伝わります——。
物語のつづき:天安河原宮(前の章:神々の知恵と笑いの舞) / 荒立神社(次の章:道案内の神と舞の女神)
物語は『古事記』の伝承と、観光庁の多言語解説文、宮崎県観光協会の紹介(パンフレット「神話をめぐる旅」)をもとに当アプリがまとめたものです。