Shiratori Jinja
所在地: 宮崎県えびの市大字末永1479
御祭神: 日本武尊
ご利益: 家内安全、開運招福、厄除け
白鳥山の北中腹に鎮座し、日本武尊を御祭神とする古社です。約1050年前の応和年間(一説に天暦年間)、霧島山で修行していた性空上人が白鳥山頂近くの六観音御池のほとりで法華経を唱えていると、白髪の老人が現れて「我は日本武尊である。我を祀る社を設けよ」と告げ、たちまち白鳥と化して飛び去ったことにちなみ、聖観音を本地とする白鳥権現として創建されたと伝わります。天正4年(1576年)には島津義久が参詣し、慶長年間には島津義弘が社殿を造営して神領200石を寄進するなど、島津氏の崇敬を受けました。明治維新後に白鳥神社と改称し、明治38年に県社に列格。本殿の雲龍の巻柱や唐獅子牡丹の彫刻、江戸末期の龍の彫物が見どころで、境内には樹齢500年の御神木をはじめ十数本の古木がそびえます。例祭は9月23日、3月21日には春の例祭、6月最終日曜には夏越大祓が行われ、開運厄除・身体健固のご利益で知られます。
霧島の山の祈りのものがたり その一
「幻の皇子が、告げた場所」
景行天皇の皇子・小碓命(おうすのみこと)は、その荒々しさを恐れた父に命じられ、西の熊曽建(くまそたける)の兄弟を討ちに向かいました。皇子は叔母から授かった衣を着て少女の姿になり、新しい館の祝いの宴にまぎれこんで兄弟を討ちます。息絶える前の弟は皇子の強さをたたえ、「倭建御子(やまとたけるのみこ)」の名を贈ったと『古事記』は伝えます。各地をめぐった倭建命は、やがて旅の途中で命を落とし、その魂は大きな白い鳥となって飛び立っていったといいます。
それから長い時が流れた平安時代。霧島の山で修行をしていた僧・性空(しょうくう、910〜1007)のもとに、ヤマトタケルの幻があらわれました。幻は、自分たちが立っているその場所に祈りの場を造るよう告げたといいます。性空は六体の観音像を彫り、959年に社を開きました。これが白鳥神社のはじまりと伝わります。社はのちに、火山の活動を避けて今の場所へ移りました。白鳥山は、1,000年以上にわたって神聖な場所とされてきました。
白鳥神社は、奈良の東大寺とも深いつながりがあります。約300年前、大仏殿の重い屋根のほとんどを支える二本の大きな梁(虹梁)に選ばれたのは、かつてこの神社の境内にそびえていた松の木でした。この巨木がなければ、大仏殿は完成できなかったといわれています。本殿の柱には、龍と雲を細やかに彫りこんだ「巻柱」が見られます。本殿の横の小道には、樹齢約500年といわれる御神木「白鳥夫婦杉」が静かに立っています。
性空が修行した霧島の山々には、のちに「霧島六所権現」と呼ばれる祈りの場が開かれていきます。その本宮とされる霧島岑神社(その二)へ——。
物語のつづき:霧島岑神社(次の章:火を噴く山の祈りの本宮)
物語は『古事記』の伝承と、観光庁の多言語解説文(白鳥神社の概要、歴史、見どころ)をもとに当アプリがまとめたものです。