Shiodake Jinja
所在地: 宮崎県日南市北郷町北河内8901-1
御祭神: 火照命(海幸彦)
ご利益: 家内安全、開運招福、厄除け
海幸彦として知られる火闌降命(ほのすそりのみこと)を主祭神とし、弟の山幸彦(彦火火出見命)と火明命をあわせて祀る、海幸彦をまつる日本でただ一つの神社です。神社の伝えでは、海幸山幸の争いののち、海幸彦は満潮に乗って磐船でこの地に着き、ここを「潮嶽の里」として宮居を構え、長く治めたとされます(小舟で海へ追いやられ、流れ着いたこの地で一生を終えたとする言い伝えもあります)。鎮座は口碑によれば神武天皇の御代の頃とされ、現在の本殿は天保3年(1832年)に飫肥藩主伊東氏の寄進で造営された流造りで、極彩色の唐獅子などの彫刻が見どころです。2月11日の春大祭では福種下ろしの神事のあと潮嶽神楽と御神子舞が、11月第2日曜の秋大祭では日南市指定無形民俗文化財の潮嶽獅子舞と御神子舞が奉納されます。釣り針をめぐる兄弟の争いにちなみ、縫い針の貸し借りをしない習わしが今も残っています。海幸山幸の神、農耕の神として、開運・諸願成就の神とされます。
海幸山幸ものがたり 外伝 その一
「海の兄は、山の奥へ」
海の幸を得意とした兄・海幸彦は、弟の山幸彦に頼まれて道具を取り替え、大切な釣り針をなくされてしまいました。ところが海の宮から戻った弟は、潮を満ち引きさせる二つの玉で兄を苦しめます。『古事記』は、兄がついに頭を下げ「これからは昼も夜も、あなたの守り人としてお仕えします」と誓ったと伝え、海幸彦(火照命)を南九州の隼人の祖と記しています。
では、敗れた兄はその後どうなったのでしょうか。潮嶽神社に伝わる話では、海幸彦は山幸彦に小舟で海へ追いやられ、何日も漂ったすえに、人里はなれた岸辺に流れ着いて、その地で一生を終えたといいます。山の奥へ逃れて住みついたとも伝わり、その場所が今の潮嶽神社だとされています。海幸彦を祀る神社は、日本でここだけです。兄弟のような仲たがいを避けるため、この地の人々は今も、縫い針を人に貸し借りしない習わしを守り続けているといいます。
いつ創られたかは分かっていませんが、潮嶽神社は宮崎県南部で長く大切にされてきました。江戸時代にはこの地を治めた飫肥藩の伊東氏が社を守り、1832年に建て直しています。毎年2月11日の春大祭では、猪や魚の頭を神さまに供え、江戸時代から伝わる神楽を奉納して、その年の豊作を祈ります。演目の中には、海幸山幸の神話を舞にしたものもあります。
弟に仕えることになった兄の物語は、ここでひっそりと続いていました。一方の山幸彦の血すじは、やがて神武天皇へとつながっていきます。山幸彦が狩りに通ったと伝わる串間神社(外伝 その二)もあわせて訪ねてみてください。
物語は『古事記』の伝承と、観光庁の多言語解説文(潮嶽神社 - 由緒)、宮崎県観光協会の紹介(パンフレット「神話をめぐる旅」)をもとに当アプリがまとめたものです。